どうして、うまくいく人と、うまくいかない人がいるのだろう。一生懸命に生きていても、必ずしもうまくいくとは限らないのはどうしてだろう。

人生がうまくいくかいかないかは、その生き方が天意に沿っているかいないかの、ただ一点にかかっています。

天意に沿う。そのことの意味を納得し、実際に天意を知る方法を身につけないかぎり、天意に沿った生き方ができるはずもありません。つまり、人生をうまくいかせることはできません。

言葉にしてしまえば、きわめて単純です。MAOができるようになる。天意に沿うようなMAOができるようになる、それだけのことです。

MAOが確実にできるようになるまで修行してください。そのMAO通りに実践するという修行をしてください。これでもか、これでもかとMAOを深めていってください。

日常何ごとも起らないのは、天に護られているからです。また、うまくいくのが難しいと思われるようなところで、案外にうまくいったとき、当然天が関わっています。

反対に、絶対にうまくいくはずの場面で、ことごとくうまくいかないときも、天が関わっているのです。

人の上には、人はいません。天があるだけです。人は天の計画を推進することを目的としてこの世に現れることができたのです。人が天意に沿わなければならないのは、当然のことなのです。

私が説く、「ひとり歩き」とは、天意に沿って生きることと、まったく同じことです。達弥西心のひとり歩きとは、天意に沿って生きるということです。

達弥西心のひとり歩きとは、天意に沿うことなのです。敢えて世間の中に生きながら、誘惑や、世間体を乗り越えて、MAOして、MAOして、天意に沿って生きていく、それがひとり歩きということなのです。

MAOを深めていくと、自分の人生の弱点、こころぐせが浮き彫りにされます。それを反省し、乗り越えてこそ、価値ある人生というものです。反省というのは、自分にとって不都合な出来事の原因を、自分自身に求めることです。