明日は誰にでもあるのですが、明日は誰にでもやってきますが、「自分にとっての明日」はあるかどうか、わかりません。「自分の明日」はやってくるかどうかわからないのです。ほとんどの場合、このことには目を向けないようにしています。自分にとっての明日は、当然のようにあるものだと思っています。

「自分にとっての今日」は、確かにここにあります。いま、ここにあります。今、ここにこうしている間中、奇跡は起こりつづけています。生きている。生きつづけている。たしかにいま自分は生きています。それ自体が、奇跡以外の何ものでもありません。

誰かが、何かが死んでしまったとき、「終わった」と深いためいきをつきます。何が終わったのでしょうか。そうです。奇跡が終わったのです。生きるということ、生きつづけるという奇跡が終わったのです。

生きているあいだ、奇跡がつづいているあいだにやらなくてはならないことがあります。

決意の実践は、今日の今のいま、しかないのです。明日はないのです。自分が確かに生きている今しか、決意のチャンスはないのです。