自分を励ますしかない。
自分を励ましてくれる人は、そう滅多にいるものではない。それに励ましてくれる人が、いつまでも自分のかたわらにいて励まし続けてくれるはずもない。誰だって、いつまでも他人にかまってもいられないのだ。
自分を励ますのは自分しかいない。自分で自分を励ませばよいのだ。
励ましてほしい時に、励ましてほしいように、自分を励ませばよい。
それが、HMUの原点だった。
「ひとり歩き」だ。
不断の努力を喚起するために「自分で自分を励ます」ことは、未来が描けたときの「武者震い」と同じくらいに、人生成功への重要なカギである。しかし多くの人は、自分で自分を励ます方法を知らない。そんな方法があることすら考えもしない。
自分で自分を励ます方法にたどり着くには、あなたがまず身近な人を励ますことだ。励まして、その人の能力を引き出すきっかけ作りをするのだ。
人はみな、称賛と喝采を待ち望んでいることに気が付く。とたんに、いきいきと能力を発揮し始める。驚くべき成果をあげる。
励ますことだ。
私たちが人生でもっとも必要としているのは、自分の能力を引き出してくれる人、に違いない。その人は自分のまわりの誰かに違いないと探しまわっていた人、そんな人などいるはずがないとあきらめていた人、きっと人生は開けてこなかったはず。
しかし、そんな人は、いる。
自分のまわりではなく、自分の中にいる。そう、自分自身である。自分で自分を励ますのだ。
まず、身近な人に称賛と喝采を送り励ますことで、その人の能力を引き出すきっかけを作り、その経験から、自分で自分を励ます方法にたどり着ける。コツがつかめる。
誰にでも苦しい時期がある。この時期をどう乗り越えるかが、その後の人生を左右する。花開くか、しぼんだままか。
苦しいときどうするか。ほとんどの人は、誰かに励まされたいと願うはず。ここに人生成功のヒントがある。
苦しんでいる人たちのほどんどが、誰かに励ましてもらいたいと願っているのなら、苦しんでいる誰かをこころから励まそう。
自分が苦しんでいるときも?
そうだ。自分が励ましてほしいときにこそ、誰かを励ますのだ。
そのとき、励ましてくれる誰かを求めるのはふつうの人。
自分で自分を励ますのは、できる人。
自分が励ましてほしいときに、励ましてくれる誰かを求めるのはふつうの人。自分で自分を励ますのはデキル人。そして、誰かを励ますのは特別な人。デキル人になるために、特別な人のレッスンをしよう。
人はみな、称賛と喝采を待ち望んでいる。だからこそ、あなたがどんな状況にあっても、相手を認めてほめ、励まして、その人の気分を高揚させるのだ。
ここからが重要。実は相手を励ましているうちに、自分が高揚してくるのがわかる。その高揚するエネルギーを、自分で自分を励ますことに使うのだ。
励ますには、情熱がいる。みずから熱くなって熱く語ることだ。動くモノ、変化するモノ、熱いモノに人はひきつけられる。あなたはエネルギッシュに動くことだ。次々に変化し、成長を遂げることだ。熱くなっていく、自分自身に期待し、わくわくすることだ。その熱は伝わる。確実に伝わる。わくわくするためには、目の前の仕事を楽しむ工夫をすることだ。
皿洗いだって一分間に何枚洗えるかにチャレンジすることもできる。
次々に自己最高記録を塗り替えよう。
情熱はみずからつくりだすもの。
哲学者ソクラテスがこう言ったという。「世の中を動かそうとする者は、まず自分を動かさなければならない」と。
自分にできることをやろう。できることから取り組もう。どんなに小さなことでも構わない。できることをやろう。
できないことは、できない。できることをやろう。
こうして実際に成し遂げた、小さなことが偉大な力を発揮する。思い描いただけの偉大な計画は、夢でしかない。
成し遂げたことが現実だ。
足元の小石を拾って投げて、落ちたそこまで歩いていく。また、その小石を拾って投げて、落ちたそこまで歩いていく。
HMU 達弥西心