人生をグラフに表すとどうなるでしょうか。
人間には無尽蔵の潜在能力があります。だから人生には無限の可能性があります。どこまでも上昇していけます。グラフの縦方向に目標の目盛りをとります。いちばん下はゼロで、いちばん上は∞(無限大)です。
グラフの横方向は、時間の目盛りです。いちばん左端はこの世に生まれたときです。いちばん右端はこの世を去るときです。つまり、有限です。終わりがあるのです。
このグラフは、かならず累計折線グラフになります。
さて、自己実現(自分の夢実現)と人生の時間の経過からなる、このグラフを、人生経営グラフと名付けます。
この限られた人生の中で、私たちはどんな人生を経営していくのでしょうか。どんな人生を経営したいと思っていますか。
限りあるこの世でのいのち(すなわち時間)を使って、無限の自己実現の可能性をどこまで追求できるか。しかも、そのタイムリミットがさっぱり読めないという矛盾だらけの中で、どう人生を経営していくか。人生はまさに経営です。
人間は、この世に生まれて、生きて、そして、やがてかならずこの世を去っていきます。この世でいのちあるうちに、私たちはいったい何をするのでしょうか。
人生を経営するのです。人間業という事業を営むのです。
生まれたときが創業です。生きている間に発展させ、繁栄させて、やがてこの世を去っていいくときが人生経営の完了のときです。人生経営の完了とは、この世で得たモノをすべて誰かに継承するときです。
経営とは、「時が経過することを営むこと」です。
さて、人間業をどう経営したら良いのでしょうか。
結局、最後の最後にどうしたいのか、と考えるのです。
人生の終着点に至ったときに、どこまで到達していたいのですか。それをまず決めることです。
いま、最後のことを決めるのです。
そして、あらかじめ決めた到達点と、いま自分が立っている現在点を、結んで、明日からはその線上をなぞるように歩いていけば良いのです。
人生経営とは、有限の時間の中で、無限の可能性をいかにコンスタントに、次々に実現していくかです。
私たち人間は、無尽蔵の潜在能力と限りない可能性を持ちながらも、生まれて、生きて、かならず死んでいきます。つまり、限りあるいのちで、限りない可能性を追い求めているのです。
人生経営グラフを描いていると、結局のところ、「今のこの瞬間」に生きることしかできないことに気付きます。
いのちを「今」、精いっぱいに燃やしながら生きていくことしかないと思うのです。朝生まれて、夜死ぬ覚悟、これしかないような気がします。たとえ志半ばにして人生の途中で倒れることがあっても、人生で行きたかった方を向いて倒れたいと思うのです。
私たちは、いのちを、今のこの瞬間に燃やすことしかできないのです。同じ燃やすなら、いきいきと燃え盛るような炎でありたいと思うのです。
人間は、生まれて生きて、そして死んでいきます。
私たちはこの世のいのちは限りがあると知っていながら、なぜ生きていくのでしょうか。なぜ生きつづけるのでしょうか。なぜ努力しつづけるのでしょうか。
もしかしたら、私たちの中のもう一人の自分が、からだは有限でもこころは無限で、永遠に生きつづけることを知っているからではないでしょうか。
HMU 達弥西心