見えるモノは見えないところで、見えないものがつくり出している。

見えるモノと、見えないものとは密接につながっている。

見えるモノは、見えないものが動かしている。

これらはみんな宇宙の法則です。


この宇宙の法則を人間の行動に当てはめるとこうなります。

誰にも見えない場所で、誰にものぞけないこころの中で、私たちが何を思うか、何を決意するかで、そのあとの誰にも見える行動と結果は必然的に決まります。

良い結果は、誰も見ていないところで、誰にも見えないこころの中で、良い決意をすることによってもたらされます。

つまり、見えないところで、私たちが何を思い何を決意したかで、すべてが決まってしまうのです。


ファミリーレストランで野菜サラダを注文します。野菜の上にのっているトマトは、今日もいつもの通りに、一個の四分の一の大きさです。調理場では、マニュアルに忠実なコックが、あらかじめ決められた通りに、てぎわよく作っていきます。

その日の朝は、新鮮なトマトが半額で仕入れることができたと言います。仕入れ担当者は得意気にその事情を説明します。

しかし、私たちの目の前に運ばれてくるサラダのトマトは、今日も相変わらず四分の一の大きさです。マニュアルに忠実なコックが、決められた通りにサラダを作ったのです。これはこれで良いのです。目の前のメニューは、誰の目にも見えない奥の調理場で作られているのです。


その調理場に、レストランの経営者がひょっこり顔を出しました。仕入れ担当者は、新鮮なトマトがいつもの半額で仕入れられたことを経営者に報告します。

それを聞いた経営者は、そこである決断をします。決意の選択は二つに一つです。
ひとつは、それは良かったもうかったと、仕入れ担当者を誉めることです。

仕入れ担当者が誉められるのを、コックはただ横で聞いているだけ。お客である私たちには何も聞えません。もちろんメニューには何の影響もありません。


経営者はもう一つの決意をすることもできます。みんなが幸福になれる選択をすることができるのです。

経営者は、いつもの半額で仕入れられたのか、それは良かった。手柄だと仕入れ担当者を誉めるでしょう。そしてすぐに、今日は特別サービスだ、とまとをもう一つ余分につけるようにと指示をします。

とたんに、仕入れ担当者の彼は、自分のしたことが社長だけでなく、お客様にも喜びを与えることになることを想像して、うれしくなります。次の仕入れにも、もっと力が入ることでしょう。

そして、経営者はコックに指示します。今日は四分の一のトマトを、もう一つ余分にのせるようにと。コックの彼は、分かりましたと笑顔で答えることでしょう。野菜サラダに、もう一つトマトをのせる彼は、思わず鼻歌を歌っているかもしれません。

そして、ウェイトレスにも指示をします。今日は新鮮なトマトが安く手に入ったので特別サービスだと説明してお客に出すようにと。いつも注文を受けたメニューをテーブルに運ぶだけだったウェイトレスの彼女は、今日だけは満面の笑みを浮かべて、トマトが二つのったサービスのいきさつを私たちに説明します。彼女は自分がそのサービスを決定した経営者であるかのように、得意げな、しかしとてもうれしい気分になるでしょう。

トマトが二つのった特別サービスの野菜サラダを目の前にして、お客である私たちはうれしくないはずがありません。そして、今度も必ずこのレストランにしようと思うはず。誰かに紹介してあげようと思うはずです。きっと、このレストランの社長はえらい!と思うはずです。


たったそれだけの経営者の決意だけで、仕入れ担当者も、コックも、ウェイトレスも、そしてお客の私たちも、そして何より経営者自身も、みんな幸せな気分になれます。みんな喜んで、みんな笑顔で、みんな幸福になれるのです。

目の前のたったひとつのメニューが、幸せなメニューになるかどうか。そして、幸せなレストランになるかどうかは、見えないところで、見えない経営者のこころの中で決まっているのです。

千人、万人を超すようなどんなに大きな会社であっても、ほんの数人だけの小さな会社であっても、目に見える会社の外見というものは、目には見えないたった一人の社長のこころの中で作られているのです。


誰の目にも見える私たちの行動は、誰の目にも見えない私たちのこころの中の決意で決まっています。

自分自身の人生の経営者は、自分自身の人生において、その時どんなサラダを作るのか、どんなトマトをのせるのか。トマトをいくつのせるのか。その決意は、自分自身がするのです。自分自身が決めるのです。


HMU 達弥西心