その天の意思と指導を私は伝えているのです。ですから、こころの進化を説きながら、一方でビジネスの展開を提唱しています。
その天の意思と指導を私は伝えているのです。ですから、こころの進化を説きながら、一方でビジネスの展開を提唱しています。
だからといって、こころを磨くことだけに専念すればいいのだとか、お金は卑しいものだとか、反対にこころは関係ないお金がすべてだとか、そういう考え方は、はっきりいって間違っています。
お金を得ることを安易に蔑んだり、疎んじたりしてはいけません。ものごとが成らなくなります。
それは、生まれたら必ず誰もがやがて例外なく死んでいくような、ごくごく自然な法則なのです。しかも、そのお金を稼ぐことには、こころを磨くことにかかわっておられるように、天がかかわっておられるのです。
散っていくさくらの花が、これほどまでに美しく、悲しいものだとは、少々意外でした。もう何度となく、そのさくらの花が散っていく景色を、見たことがあるのに、です。
さくら散る。ほととぎす鳴く。セミが鳴く。枯れ葉散る。そしてやがて冬が来る。
日のあるうちに、日の暮れぬうちにと、この世を生きていくことのプレッシャーを感じながら、何かを見つけなければ、何かを為さなければと、いう気持ちが日増しに強くなっていきます。
いまできることを、いますること、すなわち人事を尽くして天命を待つこと。それが、すべてを測り知ることは到底できない天の計画の実行に向かう、この世を渡っていく私たちの姿勢ではないでしょうか。あなたが、いまできることの「それくらいのこと」といえば、どんなことでしょうか。
みなさんの最初の勢いはとても良いのですが、ここいちばんのところで、ものの見事に、自分の都合の良いように曲げてしまいます。たとえば、「こういうMAOあるいはこういう指導だったのですが、どうしても○○が聞かないものですから、こうしてもいいでしょうか」という問い合わせには、私はただただ驚くばかりです。
しかし、こういうパターンが実に多いのです。その場で波風を立てたくないという思い、すなわち自分だけは良い子でいたいという思いが、こんな「それでは、いったいなんのためのMAOあるいは相談だったのですか」というようなことになってしまうのです。
みんな得意なことは積極的にやる、しかし不得手なこと苦手なことはできるだけ避けたいという思い、その誤った思いを打ち砕くのが、このHMUでの実践です。自分のこころは、自分自身の癖をよく知っています。知り抜いています。なにしろ、母親のおなかの中にいた頃から、つぶさに観察しつづけてきたのですから、実によく知っています。
だから、あえて打ち砕きます。苦手なところ、不得手なところ、そこを突いて実践を求めてきます。
思わず人を仕切ってしまう人には、陰の支えにまわるように。リーダーシップに欠けている人には、人にメッセージを伝えたり指導したりするように求めてきます。
実は、みんな人は何ごとも不得手なのです。みんな苦手なのです。
それがなぜうまくいったり、得意だったりするのかといえば、天の応援をいただくからなのです。
天からのはたらきかけである「風」が止まると、むなしくなります。淋しくなります。生きている意味が分からなくなります。体がどーんと重たく感じて、何もする気が起きなくなります。
まして、「風」が逆風に変わると、次々にトラブルに見舞われます。一生懸命にぺダルをこいでも、一向に前に進まない自転車のようです。向かい風に向かって自転車をこぐあの感覚です。
みんな人は何ごとも天の応援を受けて、生きているのです。本当は何ごとも不得手で、みんな苦手なのです。うまい人などいないのです。天の応援なくして、この人生、乗り切ることは至難の業です。しかし、天に頼るのではなく、すがるのでもなく、ひとり歩きです。
人生がうまくいくかいかないかは、その生き方が天意に沿っているかいないかの、ただ一点にかかっています。
天意に沿う。そのことの意味を納得し、実際に天意を知る方法を身につけないかぎり、天意に沿った生き方ができるはずもありません。つまり、人生をうまくいかせることはできません。
言葉にしてしまえば、きわめて単純です。MAOができるようになる。天意に沿うようなMAOができるようになる、それだけのことです。
MAOが確実にできるようになるまで修行してください。そのMAO通りに実践するという修行をしてください。これでもか、これでもかとMAOを深めていってください。
日常何ごとも起らないのは、天に護られているからです。また、うまくいくのが難しいと思われるようなところで、案外にうまくいったとき、当然天が関わっています。
反対に、絶対にうまくいくはずの場面で、ことごとくうまくいかないときも、天が関わっているのです。
人の上には、人はいません。天があるだけです。人は天の計画を推進することを目的としてこの世に現れることができたのです。人が天意に沿わなければならないのは、当然のことなのです。
私が説く、「ひとり歩き」とは、天意に沿って生きることと、まったく同じことです。達弥西心のひとり歩きとは、天意に沿って生きるということです。
達弥西心のひとり歩きとは、天意に沿うことなのです。敢えて世間の中に生きながら、誘惑や、世間体を乗り越えて、MAOして、MAOして、天意に沿って生きていく、それがひとり歩きということなのです。
MAOを深めていくと、自分の人生の弱点、こころぐせが浮き彫りにされます。それを反省し、乗り越えてこそ、価値ある人生というものです。反省というのは、自分にとって不都合な出来事の原因を、自分自身に求めることです。
関わる人がみんな有益であること、これこそ宇宙感覚というもの。誰かが悪いからこうなったという、「いつも誰かのせい」を脱け出して、「みんながいてくれるおかげで」に切り替えよう。すべてを呑み込めば「矛盾」なんてありえない。これぞアンポンタンの極みだと私は思う。
賢さを競えば、いつも誰かが勝って誰かが負ける。アンポンタンを競えば、みんな幸せになれる。つまり、賢さを競うよりアンポンタンを競うほうが、より賢いのだ。
「いや、私の方がもっともっとアンポンタンです、なんて誰も言ってこないし・・・。」天才アンポンタンのつぶやき。
「生きるために働く必要がなくなったとき、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる。」ケインズ(経済学者)
生きるために働かざるを得なかった日々は、人生の目的に向かって生きていたのではなかったのだと気がついて、さてどうする?
人生の目的は「無」ではないはず、「消滅」ではないはず、「まぼろし」ではないはず。無くならないもので、消滅しないもので、まぼろしではないもの。えーっと。
経糸を営むとは、時間をつないでいくこと。この世の時間とは「いのち」のこと。つまり「いのち」をつないでいくことを経営というのだ。私が、「商売とは、人々に喜びを与え、悲しみを解消してさしあげることだ」という理由は、「いのち」をつないでいくことが宇宙の法則であり、商売であり、経営だと思うからだ。
この世に生きる人は、そして商売に携わる人は、経営に携わる人はすべて、「いのち」をつないでいく責任を持つのだ。
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