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困ったことが起こらなかったら、自分で決められない、周りに流されたままでの生活になってしまう、自分で解決しなければと思うような事が起こって、良しこうしようと自分で決めることが出来るようになる、決断は自分でしか出来ない。
困ったことが起こらなかったら、自分が変われない、困ったことが起こらず、平凡な生活をしていれば、其のままで何も変わらない、変わろうとしない、だから、困ったことが起きる。
困ったことが起こらなかったら、自分の弱点が見えない、必ず人間には強いところと弱いところがあるのですが、困ったことが起こらないと、それを克服出来ない、克服出来ると強い部分だと分かる、逆に克服できなかったら弱点となる訳です。
困ったことが起こらなかったら、道が見えない、別れ道に来たとき、考えるよね、ただ広い草原みたいなところを、ずっーと歩いて行くのなら考える事もないのですが、それは、自由ではないですよね、ルールの中を個性を生かして歩くからこそ、自由だと思います。
困ったことイコール分からないことと考えてみて下さい、困ったことは、自分にかかってくる訳ですから、解決しようとします、分からないことは、直接自分の身になんらかの不都合が有るわけでないので、放っておくことが多いです、そうすると、分からないことがそのままになってしまいます、ちょっと調べておきましょう。
困ったことが起こらなかったら、向上しない、進化しない、困ったことが起こって、それを、自分なりに解決してワンステッフアップとなると思います、たから、困ることは不都合ではなく、次への発展と考えて見てはいかがでしょうか。
困った、何が困ったのか、なぜ困ったのか、もし困ったが起こらなかったら、どうなる、楽しいですか、嬉しいですか、前向きでいられますか、ちょっと考えてみて下さい。
迷い始めたら、「本当は」「私は」「どうしたいと思っているのか」と自分自身に聞いてみて下さい、胸に手を当てて声に出して「本当は本当の本当の本当は」「私は、他の誰でも無く、この私は」「どうしたいと思っているのか」と問うて見て下さい。
明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは、この美しい見事な桜、明日も見れると思っていても、夜中に嵐が吹いて来て、散ってしまうかも知れない。今日のことは今日中に。
今こうして生まれてきたこと、こうして生きてることが奇跡である、存在そのものが奇跡なのだ、だから、私たちのまわりには、たくさんの奇跡が起こっている。自分に取って都合の良いことだけを奇跡とは、思わないで下さい、自分に取って都合の悪い事も奇跡なのです。
喜んで祐ける、祐けるという字は、天の祐けという意味の見返りの無い一方的なたすけ、つまり惜しみ無く与えるということです。喜んで祐けるということは、喜んで与えるということなのです。
何かをする、自分から放すことの前に、喜んでという、言葉をくっつけて、実践に励んで下さい。この自分が喜んで生きていなければ、まわりの人に喜びを与えることは到底出来ません、自分自身が喜んで生きて行きましょう。
病気は自分の生き方を注意してくれている、胃が痛い、宇宙気学でいうところの南西の方位の問題である、仕事又は家の中の女の人との問題、となる訳です、問題解決は?、MAOして自分自身に聞くしか無いですね。
今世、この世に出てきたシナリオ通りに、進んでいるかを確認する。片付ける。宿題があったならば、早く片付ける。勝手な都合を入れて、後回しにしない。後回しは善くない。時は金なりである。
年始めに、達弥西心会主の時流鑑定講演があります。その年の、その人に取って良くも悪くも、時の流れ、方向性を、教えて頂くことが出来ます。一般の方も受講は可能ですから、受講をお奨めします。
自分自身との対話、これをMAOと呼んでいます。最初は、あくびによるMAOをしますが、本格的になると、TZUTPと云う振り子みたいな物で、yes・noを聞きます。
ですから私は、もっと大きな「おもい」に、一番大きなおもい「天意」に心を合わせること、それがまちづくり、くにづくりだと思うのです。みんながそうやって、そこに合わせていく、この世はその練習をしているところ、そうやって一生懸命くにをつくっていこうとするところです。
道徳にはいいものもありますが、どうかなというのもあります。誰に気を遣ってやっているのかとなると、私はやはり天に気を遣うべきだと思うし、人間は長く生きられやしないし、我々が生まれようと死んでいこうと、天はずーっといつづけておられるわけです。大自然も自分たちが死んでからもあり続けるわけで、人間は生きている間だけ、その一部を使わせていただいて生きているわけです。
美しい国が好きで、前向きな方が、明るい方がいいということ、そういうのは誰かが言い出したからそうなるのではなくて、天がそう願われているからそうなのだと私は思っているのです。道徳というのはあまり意味がないと言ったら、いろんな人から道徳を無視していいのかと質問がきたりしましたが、道徳というのは、人間が人間に規準を作らせる、合わさせるものだと思うのです。
そうなるとだんだんキーワードは限られてきて、「うれしいこと」「楽しいこと」になると思います。そして天と「おもい」が一致すること、結局はそこにつながるのではないかと思うのです。天が願われている通りに生きていきたいという人が集まってくる、天の言われたようにはしたくないという人は、うちにはいない方がいいと思っています。
いくら多数決や裁判で決着したとしても、わかり合えるはずがないわけで、「みんなが揃っていいと思えることだけをやる」ということでいいと思うのです。花はあった方がいいと思いますか?と言ったら、花はあった方がいいよねということになるし、みんなニコニコして生きているのがいいと思いますか?悲しい顔して生きているのがいいと思いますか?となると、ニコニコして生きているのが良いよねとなると思います。
そうすると天と「おもい」を一致させるという「ひとつ」になってくると、みんなひとつになれると思うのです。ですから天はどういうことを悲しんでおられるのかな、どういうふうに願っておられるのかな、お天道様はどう思っておられるのかな、ご先祖様でもいいと思いますが、そういう目に見えないところに心を合わせていく、そういうことが大切なことだと思うのです。
そこでまとめる方法としたら、私は政策とか法律ではなく「おもい」だと思っているのです。その「おもい」というのは、誰に照準を合わせたおもいだったら良いのかとなると、人それぞれであったとしたら、自分の思いはAさんには伝わったけれどBさんには伝わらないということが多々あるわけです。
さて、まちづくり、くにづくりにおいて大切なことは「天意」だと思っています。天の「おもい」ということです。町や国というのは、人間がこの世にいる間に、天からここに住んでいいよといわれて住んでいるところだと思うのです。
すごく楽しそうに話している時に、相手が楽しそうに話しているということを感じてくれることが「うれしい」ことです。私にとってうれしい話をしているのですが、そうすると相手もうれしいと思ってくれる、その瞬間が楽しい、うれしいのです。
私が関わった人がうれしいと思ってくれた時、その時私は「うれしい」と思います。人生相談を受けた時もそうですし、話をした時もそうです。よく「すごくうれしそうに話されますね」と言われます。うれしそうに話していると言われる時というのは、たいていセールスの話をしている時や、昔の話をしている時、夢の実現法の話をしている時です。
それを、それぞれ表現して欲しいと思っています。一生懸命生きた、一生懸命「おもい」を感じたということを記憶する、伝えるものが音楽だと思うのです。そういう感じじゃなくてちょっとこっちなんだよね、ちょっとこんな感じなんだよね、という「感じ」を表現するのが音楽だと思うのです。詩人にはできないような芸当が、どんなへたな人でも歌を歌う人にはできる気がします。
そういう音楽というのは、うまく聴かせようとか、うまく歌おうとか、うまく演奏しようというのではなくて、その時の思いに一気に、ぐっと移行するための道具なのです。音楽でしか伝えられないことがあるのです。歌をうまく歌うとか、きれいに歌うという、どうしてもそっちの方向になってしまうけれど、この人にしか表現できない歌い方、この人にしか歌えない歌があると思うのです。
学生時代、一日一曲日記をつけるように書いていた頃があります。そうした時に言葉というのは、自分の思いを記録するもの、曲を作るというのは自分の思いを忘れないために記録するものだったのです。ですから、歌い出すとその時の思いにそのまま移行するのです。
文字の「ありがとう」にしかならないのです。詩では表現できないことを音楽では、メロディーに乗せると、それがそのまま伝わってくる、この言葉はこういうメロディーに乗せてでしか伝わらない、表現できない言葉があって、それを見つけ出すということをやっていました。